シャトー案内

Ch Latour
シャトー・ラトゥール
生産地 | メドック地区 ポイヤック |
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シャトー | シャトー・ラトゥール |
タイプ | 赤/フルボディ/力強くコクがある |
格付け | メドック1級 |
栽培品種 | カベルネ・ソーヴィニヨン85%、メルロー14%、プティ・ヴェルド1% |
各ワイン評論家からの評価(★1点/☆0.5点)
ロバート・パーカー (第4版) | ★★★★ (4点/4点満点中) |
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ヒュージョンソン (第5版) | ★★★★ (4点/4点満点中) |
ル・クラスモン (2006年度版) | ★★★ (3点/3点満点中) |
ゴー・ミヨー (2006年度版) | ★★★★★ (5点/5点満点中) |
その名の通り“塔”をシンボルとした、世界に名高い1級シャトーです。名前の由来ともなり、ラベルにも描かれている塔は、14世紀中頃、要塞として建てられて『年代記』にも登場しているという由緒ある塔なのです。
ラトゥールのワインは、5大シャトーの中で“最も力強く男性的”“晩熟で長命”と言われています。それだけに、色が濃くタンニンも豊富なのですが、それに負けないだけの黒い果実の凝縮感は素晴らしく、圧倒されてしまうほどです。
「50年以上の熟成にも耐えられる」とも言われる晩熟なワインだけに、若いうちはガチガチとした印象があります。しかし、じっくり20~30年と寝かせると、タンニンの角が取れて、力強さと豊かなコク、円熟した深みが見事に現れ、世界に名高いラトゥールらしい極上の味わいを見せてくれるようになります。
また、このシャトーが評価されている点は、ヴィンテージによって左右されることがほとんどなく、五大シャトーの中で最も安定して、その名声に恥じないワインを造り続けていることでしょう。
この理由の一つが、地理的にジロンド川に近いという地形の恩恵によるものです。川の輻射熱は、ブドウの成熟を早めたり、冬の畑を暖かくしたりしてくれるため、霜の被害、収穫時の秋雨被害を被るリスクを減らすことが出来るのです。安定したワインが造れるように、自然から加護を受けていると言ってもいいかもしれません。
そして、もう一つの理由は、シャトーの近代化と努力です。ラトゥールは外国資本により経営されていた1963年からの30年間に、いち早くステンレスタンクを導入するなど設備を一新させました。それに加えて、100%の新樽熟成、樹齢10年以上の樹からしかブドウを収穫しないなどの厳しい規律を造り、それを守り続けてきたのです。この姿勢は今なお全く変わることなく守り続けられています。
ちなみに、1993年にシャトーが売却され、フランス人の経営に戻った時、現オーナーの提示した買収金額は何と「1億2600万ドル」。それだけの価値を認められているワインなのです。
その本当の価値を知るためにも、ぜひ15年以上寝かせたラトゥールを飲んでみてください。重厚で奥深く、格別のコクが楽しめるようになっていることがお分かりいただけることでしょう。軽く20~25年は瓶の中で熟成し、年によっては50年以上の歳月を持ちこたえるという、長命で偉大なワインの底力を感じとってみてください。
シャトー紹介・醸造工程
“塔”がシンボルの1級シャトー
- 現在の塔(鳩小屋)と、木陰にあるシャトー
- 正面から見た鳩小屋
1855年のパリ万博に行われた格付けの際に、わずか4つしかない1級シャトーに選ばれていたのが、“塔”が有名なシャトー・ラトゥールです。シャトーの名称も“塔”という意味ですし、ラベルにも塔のイラストが描かれており、まさにこの塔がラトゥールのシンボルとなっています。
この塔は、当時の領主の許しを得て、1300年代中頃には要塞として築かれていました。当時の歴史書で、フロワサールが記した『年代記』にも登場していて、百年戦争の降伏協定まではイギリスの支配下におかれていた歴史もあります。
しかし、よく見てみるとラベルに描かれている塔と現在の塔は、どこか違っていることに気付きます。実は、要塞として建てられた塔はすでに撤去されていて、現在目にすることが出来るのは、17世紀に建てられた「鳩小屋」なのです。しかし、今なおシャトーのシンボルとして人々から愛されていることに変わりはありません。
ラトゥールの評価が高まったのは、18世紀初頭に、“葡萄の王子”と呼ばれたニコラ・アレキサンドル・ド・セギュール侯爵の所有となった頃でした。セギュール家は、同じく後に1級シャトーと格付けされた【ラフィット】なども傘下に収めていて、シャトー【マルゴー】を除いたメドックの有名シャトーは、全てセギュール家が所有する時期もありました。
彼の死後、所有者は移り変わっていきましたが、シャトーへの高い評価は失われること無く、現在でも世界中のワイン愛好家から愛され続けているのです。
ジロンド川など、地形の恩恵に恵まれて
- ジロンド川から眺めるシャトー全景
ポイヤック地区最南端、丁度サンジュリアンの境界線のところにやって来ると、シャトー・ラトゥールのブドウ畑を囲む石垣が見えてきます。サンジュリアンの境界線に向かって傾斜したこの畑は“ランクロ”と呼ばれ、ラトゥールの中でも最も重要な一帯です。
この地域は、わずか300メートルほどしか離れていないジロンド川の影響を受けやすく、“畑の過度の温度変化を防ぐ”という恩恵を受けています。1991年4月にボルドー地方を襲った霜は、平均70%のブドウの新芽を破損してしまうという大きな被害をもたらしました。しかし、このランクロの畑は、ジロンド川からの暖かい空気のおかげで、わずか「30%」の損害にとどまりました。良質なブドウを安定して収穫するため、この川が重要な役割を果たしているのです。
この畑の表土は「約60センチ~1メートル」あり、ピレネー山脈とフランス中央高地からのギュンツ氷期の砂利が多く含まれています。これは非常に大きめの砂利であるため、排水が良く、その下の層にある泥灰岩性の粘土へと必要な水分をもたらします。また、夏の間には、太陽熱によって温められた砂利がブドウへと熱を反射させます。夜間も熱を保ち続けるため、ブドウは適度に暖められ、成熟が早まる効果があるのです。ラトゥールの畑は合計で78ヘクタールありますが、そのうちの47ヘクタールがこのランクロの地形となっているのです。
ラトゥールの畑全体では、3つの品種が植えられています。85%を占めるカベルネ・ソーヴィニヨンの多くは、ランクロの上部の、水はけの良い砂利質の表土で構成されている部分に植えられています。14%のメルローは、傾斜部の下側、表土の砂利層が上部と比べて少し薄くなる区画を与えられ、1%のプティ・ヴェルドは、シャトー【ピション・コンテス】の隣の畑に植えられています。以前は畑の2%を占めていたカベルネ・フランの区画は、現在は抜根されており、畑を休ましている最中なのだそうです。
- シャトー・ラトゥールの入り口
- 鳩小屋は今でもシャトーのシンボルとなっています
- ブドウ畑の地図。ランクロは写真右側部分
敢えて昔ながらの手法を残す
D2号線から、ランクロの中をジロンド川方面へずっと進んでいくと、2001年から改装工事が行われ、真新しくなった醸造所が見えてきます。
畑の中を通っていると、所々のブドウの樹に青いプラスティックのテープが巻きつけられているのが目立ちます。これは、まだ樹齢が若いブドウの樹を区別するためで、収穫の際に間違って混じってしまわないようにするための目印なんだとか。ブドウの樹の植え替え作業は、どのシャトーでも毎年行われるものですが、ここまで品質の管理を徹底しているのは珍しいと言えるでしょう。
この畑で手摘みで収穫されたブドウは、“カジェット”と呼ばれる8キロ入りの収穫カゴに潰れないように入れられて、醸造所の東側の部分へと運ばれます。そこの2階に収穫口があり、わざわざそこまでリフトを使って持ち上げて、2階にある選果台で選果が行われることになります。
こうした作業をあえて2階で行っているのは、ちゃんと理由があります。後にブドウをタンクに搬入する工程では、ビスを回してブドウを押し上げる方式としているシャトーが増えてきています。しかし、この方法では、ポンプの圧力でブドウに余計なストレスを与えてしまったり、種が潰れてしまうというリスクも付きまとうのです。これを避けるため、ラトゥールでは敢えて重量だけに頼ってタンクへ搬入するという、昔ながらの方法を採用しているのです。
最新のコンピューターで温度管理
- ラトゥールのステンレスタンク
- このテーブルで温度管理をしています
この2階部分で、2回の選果が行われます。1回目では病果・不良果・葉などの除去し、2回目に除梗機で取りきれなかったり、切れてしまったりした果梗を取り除くのです。この作業の後に、ブドウは合計66基あるステンレスタンクの中へと搬入されて、アルコール発酵が始まります。
ラトゥールのタンクは、166hl-139hl-121hl-106hl-101hl-82hl-64hl-21hl-20hl-12hlと、サイズが非常に豊富です。また、胴型と台形型、双方のタンクがあり、実にバラエティーに富んでいます。これにはもちろん理由があって、区画のスペースに合わせてタンクも特注で作らせているためです。こうすることによって、より小さな区画の醸造の際にも、ワインが過度に酸化しなくなる効果があるそうです。
タンクが並んでいるところには、タンク自体の温度や、タンクの部屋全体、樽貯蔵室など、全体の温度調節を行うコンピューターを制御するテーブルがあります。発酵中のタンクは、品種やその区画の樹齢によって微妙に異なりますが、約28℃前後に保たれているのだとか。以前は、「ステンレスタンクは外気の影響を受けやすく温度管理が難しい」と言われていたこともありましたが、ラトゥールでは室温をコントロールし、さらにタンクを半地下の場所に作ることでそうした欠点を補っているのです。
こうして適温が保たれたタンクでは、アルコール発酵、続いて2次発酵である果皮浸漬が3週間かけて行われます。その後、一時的にフリーランジュースと粕帽に分けて、フリーランジュースはタンクの中で、粕帽から絞って得られるプレスワインは新樽の中でマロラクティック発酵を行います。
その後、フリーランは、11社から購入されている、アリエールとニエーブル産のオークから作られた新樽(内側の焼付けはミディアムとミディアム・プラス)に入れられて、約18ヵ月の熟成に入るのです。さらに、3ヵ月に1度の澱引き、卵白を使用してのコラージュを行ってから、自社製の機械で瓶詰めされてようやく完成となります。
- 手前が2番目の選果台。その向こうにステンレスタンクがあります
- 1年目の樽貯蔵室
- 瓶詰めされたワインのストックルーム
特筆されるべき“シャトーの清潔さ”
実際にラトゥールを見て、真っ先に特筆すべきなのは“シャトーの清潔さ”という点でしょう。いつ伺ってもタンクはピカピカ、床は常に濡れていて、常に清掃された後のように清潔に保たれているのです。シャトーが建て直されてまだ施設が新しいというのも理由の一つでしょうが、ラトゥールのスタッフの方々が特に衛生面に気を使っている証拠でしょう。
また、非常に大きなサイズの「ブレンド用タンク」を所有している点も、ラトゥールの特徴です。容量の大きなタンクを所有していないシャトーの場合、アルコール発酵に使用するタンクの中でいくつかに分けてブレンドをすることになるのですが、どうしてもタンクごとに多少の味の違いが出てしまうものなのだそうです。大きめのタンクで一度にブレンドすることで、ワインの味をすべて均一化しばらつきが出ないように、と配慮されているのです。
ラトゥールは、日本では【ムートン・ロートシルト】や【マルゴー】のように派手に取り上げられることは少ないシャトーです。しかし、多大な投資の末に刷新された醸造設備や、スタッフの皆さんの衛生面での配慮を目にしていると、今後より一層の発展を続けることは間違いでしょう。
- 綺麗な試飲ルームからはラトゥールとレオヴィル・ラスカーズの畑が見えます
- 「24万リットル」という巨大なブレンド用タンク
- ラトゥールの広報であるソニアさんとの試飲風景
シャトーの歴史
「年代記」にも登場する、有名な塔
シャトー・ラトゥールのシンボルとなっている“塔”は、1331年10月18日にカスティヨン家の領主であったポンスからの許しを得て、1300年代中頃に初めて要塞として作られたと考えられている。
この塔は、1378年よりフロワサールの『年代記』に登場している。当時は百年戦争の真っ只中で、河口を守る要塞のサン・モベール塔はフランス国王に雇われたブルトン兵によって守られてた。しかし3日間の包囲の後、アングロ・ガスコン軍が要塞を奪取し、守備隊を駐留させた。その後、1453年7月17日の百年戦争の降伏協定まで、塔はイギリスの支配下に置かれていた。
しかし、これ以降、塔に関しての記述は途絶えてしまう。この要塞跡の正確な場所は不明だが、14世紀の頃はジロンド川から300メートルの場所にあり、ブドウ畑の南東に位置していたと考えられてている。また、塔の形も円形ではなく、当時の建設の技術から言っても「四角形」で「2階建て」だったと予想されている。つまり、今日ラトゥールで見られる塔は、元は要塞として使用されて、名前の由来ともなった塔ではなく、1620~1630年の間に以前のシャトーの石を使って建てられた「鳩小屋」なのだ。
16世紀末まで、ラトゥールは共同所有者が小作農民から地代を受け取る共同領主の土地だった。その後、17世紀の終わりまでミュレ家によって所有されていた。この後、売却、相続、相次ぐ結婚によってセギュール家へと所有が移り、1718年、当時【ラフィット】も所有していたマルキ・ニコラ・アレクサンドル・ドゥ・セギュール侯爵の手によって同シャトーの偉大な歴史が始まる。
“葡萄の王子”が所有者に
“葡萄の王子”と呼ばれていたニコラ・アレクサンドルは、同年、【ムートン】と【カロン・セギュール】獲得し、領地(ドメーヌ)をさらに拡張する。こうしてシャトー【マルゴー】以外のメドックの最も有名なシャトーは全てセギュール家が所有することになった。
しかし、1755年の彼の死後、領地は分割されていく。ラフィットの一部だったラトゥールは分割されて、18世紀後半にはワイン造りに必要なすべての道具を揃えた独自のシャトーとして経営されていく。
18世紀はじめ、イギリスの市場の回復や北ヨーロッパとのワイン取引の発達によって、ラトゥールの評価は次第に世界中へと広まっていった。1787年、後のアメリカ大統領にもなるトーマス・ジェファーソンにも高く評価され、当時の通常のボルドーワインよりも20倍の価格で取引されていたほどだった。こうした実績もあり、1855年の格付けの際には、わずか4つしかない1級シャトーの一つに選ばれた。
後にフランス革命が起こるが、ラトゥールは奇跡的に同じ一家の所有であり続け、領地全体を維持できた。1842年、相次ぐ世襲により所有者の数は増えたが、一つの株式会社としてまとまり、1862~1864年に現在のシャトーも造られている。
経営も変わり、新たな投資が続けられる
1963年にはイギリスのフィナンシャルグループであるピアソンが53%の株を所有して大株主となり、ラトゥールは英国資本の手に移った。翌年には、メドックでは一番早くオーク製タンクからステンレスタンクへの変更に踏み切り、1968年から畑の排水を良くするための工事も始まる。
その後、所有者はアライド・ライオンへと移るが、1993年には現在のオーナーであるフランソワ・ピノーが、自分の持ち株会社アルテミスを通してアライド・ライオンの持ち株を買収。30年に渡る英国資本による経営が終わり、再びラトゥールはフランス人の手に戻ってきたのだ。
シャトーデータ
主要データ
- Ch Latour
シャトー・ラトゥール 33250 Pauillac - http://www.chateau-latour.com/
- 格付け
- メドック1級
- アペラシヨン
- Pauillac
- 総責任者
- Frederic Engerer

畑について
畑面積 | 約78ha |
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年間平均生産量 | 約35万本 |
作付け割合 | カベルネ・ソーヴィニヨン 85% メルロー 14% プティ・ヴェルド 1% |
平均樹齢 | 約40年 |
植樹密度 | 約10,000本/1ha |
醸造ついて
タンクの種類 | ステンレスタンク |
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樽熟成の期間 | 約18ヵ月 |
新樽比率 | 約100%の新樽 |