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2023年5月15日

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シャトー案内

Ch Haut-Brion

シャトー・オー・ブリオン

生産地 グラーヴ地区 ペサック・レオニャン
シャトー シャトー・オー・ブリオン
タイプ 赤/フルボディ/エレガントでまろやか
格付け メドック1級
栽培品種 《赤》カベルネ・ソーヴィニヨン45%、メルロー37%、
   カベルネ・フラン18%
《白》セミヨン63%、ソーヴィニヨン・ブラン37%

各ワイン評論家からの評価(1点/0.5点)

ロバート・パーカー (第4版) ★★★★ (4点/4点満点中)
ヒュージョンソン (第5版) ★★★★ (4点/4点満点中)
ル・クラスモン (2006年度版) ★★★ (3点/3点満点中)
ゴー・ミヨー (2006年度版) ★★★★★ (5点/5点満点中)

1855年のメドックの格付けで、当時からあまりにも有名だったために、例外的にグラーヴ地区から選ばれ、1級という栄誉を与えられた歴史的シャトーオー・ブリオンです。それもそのはず、オー・ブリオンの名声は、当時すでにヨーロッパ全土に広まる勢いだったのですから。

オー・ブリオンが誕生したのは1550年。その後、「スーティラージュ(澱引き)」「ウイヤージュ(補酒)」といった手法を世界で初めて取り入れるなど技術革命を起こし、イギリス市場に進出します。1666年、ロンドンにオー・ブリオンを供するレストラン”Pontacks Head”ができると、このワインは大評判となりました。

その後、オー・ブリオンは、ナポレオン戦争で敗れたフランスの救世主となります。国の崩壊という危機に追い込まれていたフランスの外相タレーランは、敗戦国の処遇を決める1814年の「ウィーン会議」で、連日連夜、各国代表に豪華な料理とオー・ブリオンを振る舞いました。これによって各国代表も態度を軟化させ、フランスは敗戦国でありながら領土をほとんど失うことなく乗り切ることができたのです。

まさに“フランスの救世主”ともいえるオー・ブリオンの名声は、瞬く間にヨーロッパ全土に広まっていきました。特例としてメドックの格付1級に加えられているのも当然のことなのかもしれません。

オー・ブリオンは、五大シャトーの中で最も“エレガント”“香り高い”と評される一方で、“軽い”“外交的”とも言われていますが、決して軽いという訳ではありません。他の4つのメドックのワインに比べると、メルローの比率が高いため、渋みが少なく柔らかさがあり、グラーヴ地区らしい香りや味の調和のとれた、とても親しみやすいワインなのです。

それに加えて、優れた凝縮感を持ち合わせていて、いい年のものは、若いうちから飲みやすいにも関わらず、ゆっくり寝かせると重みとともに滑らかな舌触りも増し、30年の熟成にも耐えることから、五大シャトーで“最も飲み頃の期間が長い”とも言われています。

類まれな豊かな香りとともに、タンニンの殻に邪魔されることなく、複雑でエレガントな風味と、まろやかでたっぷりとした旨味を楽しめることができる、極上の美酒オー・ブリオン。その味わいに触れてみると、多くの者の心を動かし、歴史さえも変えてきた理由がお分かりいただけることでしょう。かつてフランスという国をも救ったオー・ブリオンは、今でも社交の場で最高の働きをしてくれる、とっておきの1本なのです。

シャトー紹介・醸造工程

都会の中のこじんまりとした1級シャトー

右は1855年前後の空瓶。海賊が略奪して洞窟に隠しておいたものが見つかったのだとか
案内してくれたレティーシアさんと、一緒に試飲をさせていただきました

1550年に正式に誕生したシャトー・オー・ブリオンは、当時からボルドーでも優れたワインを生み出すシャトーとして知られていました。後に、その名声をさらに広めるために、海外市場のイギリスへ進出します。1666年、ロンドンの居酒屋で供されたオー・ブリオンは大きな評判となり、特定の畑名で売り出された最初のボルドーワインとなりました。その後、様々な変遷を経ながらも、今なお1級のシャトーとしてワイン愛好家からの尊敬を集めています。

ボルドー市内から、近年、高級住宅地として人気が高いぺサック地区方面へ、車で約15分ほど向かうと、途中の街中にオー・ブリオンのブドウ畑が見えてきます。ブドウ畑は48ヘクタールの赤用と2.7ヘクタールの白用のみで、その規模は1級シャトーの中では最も小さなものとなっています。

マンションや給水塔、住宅地に囲まれ、ゆったりと傾斜した斜面は沢山の砂利が混じった土壌です。まるで“都会の中にぽつんとある菜園”といった雰囲気のあるオー・ブリオンのブドウ畑ですが、この立地がワインの味わいに大きな影響を与えているのです。

オー・ブリオンはボルドーの都市部に近いので、メドックの平均よりも2℃ほど気温が高くなります。このため、その分だけブドウの成熟も早く進み、ボルドーのどのシャトーよりも早く収穫できるのです。通常、メドック地区の収穫は9月中旬に始まるのですが、オー・ブリオンだけは8月終わりから収穫が始まることもあるほどなのです。実際、2005年には白は「8月24日」から、赤は「8月29日」から収穫が始まっていて、他のシャトーの「9月15日」と比べても2週間以上も早かったそうです。

秋口にかけて雨の多い季節になりますが、早く収穫できることの最大のメリットは、この雨の影響を受けにくくなることです。雨に当たってしまうと、せっかく成熟したブドウの糖度を低下させてしまう上に、灰色カビ病という病気を引き起こす可能性が高まってしまいます。9月中旬~下旬にかけては、雨に悩まされやすい時期で、それまでは良い天候が続いて、ブドウが成熟してしたにも関わらず、収穫時期の雨のために平凡なヴィンテージになってしまった、そんな年も沢山あったほどなのです。

シャトー・オー・ブリオンの入り口
最も小石が多く「グラーヴ」と呼ばれている区画。7月の風景です
畑の中に近所の家のための給水塔が。1月の風景です

近代的で合理的なシステム

オー・ブリオンらしい合理的なベルトコンベア。赤は奥へ、白は手前に流されます
オー・ブリオンのオリジナルの2層式ステンレスタンク
プレスワイン用のステンレスタンク。ここでマロラクティック発酵を行います

赤用のブドウ畑には、メドック地区やグラーヴ地区で多く使われているカベルネ・ソーヴィニヨンが45%と最も多く、その次にメルロー37%、カベルネ・フラン18%の3種類が植えられています。白用のブドウ畑には、グラーヴとしては珍しく、ソーテルヌ地区の主要品種であるセミヨンが63%、ソーヴィヨン・ブランが37%植えられています。

恵まれた気候環境の下で収穫されるオー・ブリオンのブドウですが、それでも病果や不良果というものも存在します。これらを取り除く選果は、醸造所に運ぶ前にブドウ畑の中で手作業で行い、健全なブドウだけをより分けて醸造所に運びます。

ここからオー・ブリオンらしい、近代的で合理的なシステムのベルトコンベアに乗ることになります。収穫口に入れられたブドウは、まずはそのままそこで重量を測った後、ベルトコンベアに乗って除梗機へと運ばれていきます(白の場合はベルトは反対方向に動き、そのまま圧搾機にかけられることに)。除梗機でブドウの粒と果梗に分けられると、そのままブドウの粒は下に落下。除梗機の下に備え付けられた破砕機で少しだけ潰された後、ポンプを使って23基ある2層式のステンレスタンクへと運ばれていきます。

この2層式ステンレスタンクは、オー・ブリオンのオリジナルのものだとか。現在のシャトーの管理者であるジャン・フィリップ・デルマス氏の父であり、オー・ブリオンの改革者でもあるジャン・ベルナール・デルマス氏考案のもので、91年より使用しているそうです。

このタンク上部では、アルコール発酵と果皮浸漬が行われ、下部ではマロラクティック発酵を行っています。上部で果皮浸漬が終わった後、上部タンクの扉にチューブを取り付けることによって自動的に果汁が下部へ移る仕組みになっていて、扉内部にはブドウの実、果皮、種が出てこないように特殊な金属を取り付けてあるため、果汁のみが移されるのです。

タンク上部では、28~30℃の温度を保ちながら発酵を続けていく間、6時間に1回ずつ“ルモンタージュ”と呼ばれる作業を繰り返します。これは、下部の果汁を一旦抜き取って、上部にポンプで上げて、発酵中に果汁から分離してしまった粕帽(ブドウの実、果皮、種)へとシャワーのようにかける作業です。これによって、色素とタンニンの抽出を行い、粕帽上部が乾いてしまうのを防ぐ目的があるのです。

通常、このルモンタージュの作業は、一度タンクの外に設置された大きな洗面器のようなものにワインを移して行うところが多いのですが、合理化のため、全てコンピューターで管理しています。このシステムが出来たおかげで、夜中にわざわざパジャマ姿で起きてくる必要も無くなったとか。

専門の職人一人のみが樽の焼付けを行う畑

シャトー内にある樽工房。様々な大きさの木片を円周に合わせて組み合わせていくパズルのよう

こうして、アルコール発酵と果皮浸漬、マロラクティック発酵を終えた12月下旬頃から、ブレンド作業が始まります。

通常、ほとんどのシャトーでは、一度品種ごとに分けて樽の中で熟成を行い、業者向けの先行予約販売「プリムール」が始まる前の2月頃にブレンドをするか、もしくは樽の中での熟成が終わり、瓶詰め直前に行うものです。しかし、オー・ブリオンでは、“樽香によって本来果実が持つ香りが隠されないように”という理由から、樽に入れる前にブレンドを行うのだとか。

この樽にも、オー・ブリオンらしいこだわりがあります。それは大手樽会社「セガン・モロー」と提携して、シャトー内で樽の組み立て、焼付けを行っていることです。

大手樽会社の中には、焼付けを行う職人が沢山いるのですが、同じミディアムに焼かせても人によって品質にバラつきが出てしまうことは避けられません。これによってワインにつく香りが微妙に異なってしまうというのです。このためオー・ブリオンでは、わざわざシャトー内で、たった1人の専門の職人に焼かせることで品質の安定を狙っているのです。

「1つのヴィンテージで必要とされる新樽の全て」という訳ではありませんが、黙々と働く無口な樽職人さんが、そのほとんどを一人で行っているというのだから驚きです。同様の樽工房は、【マルゴー】【ラフィット】【スミス・オー・ラフィット】などでも見受けられますが、オー・ブリオンほど徹底しているところは少ないかもしれません。

オー・ブリオン内で組み立てられたフレンチオークの樽の中で、約18~20ヵ月間の熟成が行われます。熟成中の澱引きは3ヵ月に1度、伝統的にローソクを使って行っていて、5回目の澱引き前に卵白を使った“コラージュ”と呼ばれる清澄作業をします。最後に瓶詰めされ、世界中への出荷の時を迎えるのです。

樽を柔らかくするためにカマドで火にかけます。焦がし方によってワインにつく香りが変わります
1年目の樽貯蔵室。最初の1年はここで熟成されます
2年目の樽貯蔵室。地下になっているため、温度、湿度が一定に保たれます

数々の革命を起こした名門シャトー

カーブにある1945年のヴィンテージ。この年は歴史に残る出来の良い年でした

1550年から始まる歴史の中で、オー・ブリオンは常にワインの歴史に革命を起こしてきました。

初代オーナーのポンタック家はワイン造りに始めて、澱引き、樽熟成中に目減りしたワインを補う“ウイアージュ”というテクニックを取り入れました。これによって、以前とは比べ物にならないほど品質が上がったようで、17世紀イギリスでは「ニュー・フレンチ・クラレット」と呼ばれてもてはやされたそうです。

また、1961年に他のシャトーに先駆けてステンレスタンクを導入したのも、ここでした。決め手は「温度管理のしやすさ」「清潔に保つことが容易である」といった理由からで、常に進歩的な改革を行ってきたオー・ブリオンらしい合理性だと言えるかもしれません。

シャトーの歴史

特定の畑名で売られた最初のボルドーワイン

シャトーの創始者であるジャン・ドゥ・ポンタックが、結婚の際に妻が現在のオー・ブリオンの土地の一部を持参したことがきっかけで、その後少しずつ周囲の土地を買い集め、1550年にワイン醸造のための設備を造り、正式にシャトー・オー・ブリオンが誕生した。

その後、アルノー3世の代に初めてイギリス市場に参入、次の代には、オー・ブリオンの名声を高めるために活動拠点をボルドーからイギリスに移す。1666年、ロンドンに「l'Enseigne de Pontac」という居酒屋を開くと、瞬く間にこの店は評判となり、“ロンドンでただ一つの小粋な店”と呼ばれるようにまでなった。オー・ブリオンは、特定の畑名で売り出された最初のボルドーワインとなったのだ。

幾多の苦難を乗り越えながら

その後、様々なオーナーの手を経て、ジョゼフ・ドゥ・フュメルがドメーヌを譲り受けた頃に大きな転機がやってきた。軍隊を退役した彼は、1763年よりオー・ブリオンの経営に没頭し、オレンジ畑、広大な庭園、その他様々な建物を作るなど、シャトーの美化に努める。また海外へのワイン輸出にも力を入れ、イギリスへの輸出量を増やしただけでなく、スウェーデンなどにも目を向けていた。

フランス革命が勃発すると、ドメーヌへの被害はほとんど無かったのだが、オーナーのジョゼフ・ドゥ・フュメルは、これまでのイギリスとの取引関係などが革命委員会の目に留まってしまい、断頭台へ登ることとなってしまった。

オー・ブリオンは国有財産として競売にかけられてしまい、ナポレオンの外相であったタレーランをはじめ、所有者が次々と入れ替わった。

そして、1836年、競売にかけられていたオー・ブリオンの土地を、ジョゼフ=ウージェーヌ・ラリューが買い取った。さらに彼は、1841年、別の所有者の手に渡っていた3分の1の土地も買い入れ、1694年以来、ばらばらになっていたドメーヌの土地は、ようやく一つにまとまったのだ。彼はオー・ブリオンの発展に尽力し、多大な功績を残した。その甲斐もあって、1855年、オー・ブリオンは、【ラトゥール】【ラフィット】【マルゴー】といった高級シャトーと肩を並べ、堂々と第1級に格付けされたのだ。

その後、1880年代の末期のフィロキセラの大流行を何とか乗り切ったのだが、また財産の分配などを巡って、揉め事が起こってしまう。エキセントリックな性格で知られていたアンドレ・ジベールが所有権を買い取り、彼は1929年の経済恐慌による混乱期を見事に守りきった。しかし、彼には後継者がいなかったため、オー・ブリオンをボルドー市に寄付することも考えたのだが、市は維持費の高さを理由にこれを拒否したこともあった。

1935年、クラレンス・ディロンがオー・ブリオンの買い手として名乗り出る。財務家として、またスポンサーとして手腕を振るったディロン家は、先見の明によって最新技術を次々と導入、低迷していたシャトー・オー・ブリオンを蘇らせ、今日の栄光を揺るぎないものとした。

シャトーデータ

主要データ

Ch Haut-Brion
シャトー・オー・ブリオン 33602 Pessac
http://www.haut-brion.com/prehome
(フランス語・英語)
格付け
メドック1級
アペラシヨン
Pessac-Leognan
総責任者
Jean-Phillippe Delmas

畑について

畑面積 赤用44ha , 白用2.7ha
年間平均生産量 約17万本
作付け割合 《赤》
カベルネ・ソーヴィニヨン 45%
メルロー 37%
カベルネ・フラン 18%
《白》
セミヨン 63%
ソーヴィニヨン・ブラン 37%
平均樹齢 約36年
植樹密度 約8,000本/1ha

醸造ついて

タンクの種類 ステンレスタンク
樽熟成の期間 18~20ヵ月
新樽比率 約70%の新樽
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